「あきれたぼういず」について

まず始めに述べておくことがあります。それは「あきれたぼういず」には3つあるということです。

ここでは便宜上、第1次、第2次、第3次という分類をし、その中でも第1次の「あきれたぼういず」

について述べます。


「あきれたぼういず(第1次)」は現存する記録では昭和12年5月に結成されました。
当時吉本ショウで活躍していた川田義雄、坊屋三郎、芝利英らが、マンネリ化したショー
に嫌気がさしたのが結成のキッカケです。彼らはボードビリアンとして演技と歌、踊りの
素養があり、しかも楽器を弾くことが出来ました。そこで自ら楽器を弾いて歌を歌うこと
で、音楽性を取り入れた笑いを表現しようとしました。つまりジャズ、オペラ、クラシック
から浪花節、流行の歌謡曲といった音楽でギャグをつないでいくコントです。平成の現代
ならば特に珍しくはないですが、こういったことを日本で初めて行ったグループが

「あきれたぼういず(第1次)」なのです。


つまり日本においての歌謡漫談、ボーイズ、音楽コントを語ることは、そのパイオニア
である「あきれたぼういず」を語ることであり、さらにその「あきれたぼういず」とは
「あきれたぼういず(第1次)」でなくてはいけないのです。そしてそのリーダーとして
活躍したのが川田義雄、後の川田晴久なのです。


「あきれたぼういず」の特色について、瀬川昌久氏の実に的確な文章があります。


あきれたぼういずの特色は、一方で従来の漫才のギャグ形式を踏襲しながら、他方四人組
というコーラスの音楽要素をもとり入れた前代未聞の洋式漫才チームであったことだ。 

(レコード「地球の上に朝が来る あきれたぼういず傑作集」日本ビクターKVX-5081/2 の
解説より抜粋)



音楽性
舞台で楽器を生演奏する喜劇役者が登場したことはとても目新しく新鮮でした。
彼らはギター、ハーモニカ、オカリナ、クラリネット、ウォッシュボードなどを
巧みに使いこなしました。またクラシックから歌謡曲まで、作品の元ネタとなる
音楽の幅広さと、それを巧みに取り込むアレンジの柔軟さも忘れてはなりません。
具体的に挙げるならば「珍カルメン」での、歌劇「カルメン」のハバネラから
浪曲のリズムへと変化する箇所など、今聴いてもはっとさせられます。


構成力
「あきれたぼういず(第1次)」は1日3回10日変わりの過密なショーのスケ
ジュールを、作家の協力なしに自作自演でこなしていました。それをこなせたのは
メンバー個々の技術が高かったからだと言えます。また個々のアイディアをまとめ
台本を作るのはリーダーである川田の役目であり、そこから川田には作家としての
高い構成力があったことがわかると思います。


ボケ・ツッコミ・コワシ・ニヤケ
メンバー4人には個性にあった役割分担があり、それが作品のスピードやテンポに
生かされていました。益田がボケ、川田がツッコミ、坊屋がコワシで、芝がニヤケ
という役割分担です。とぼけた裏声で益田がぼけると、それに対し川田が歯切れの
良い台詞回しでつっこみ、そこからさらにナンセンスなギャグとパワーで坊屋が
場を壊していき、それをスマートな芸風の芝が傍観者風ににやけながら見ている。
4人組のコントというのも、あるようで意外となく、それが「あきれたぼういず」の
特色になっているのです。

あきれたぼういずの唯一の現役であった坊屋三郎さんは、2002年5月25日に
亡くなられました。92歳でした。これであきれたぼういずのメンバーは全て鬼籍
に入ったことになります。